チュニジアの博物館で武装した男たちが銃を乱射して日本人3人を含む外国人観光客など21人が殺害された事件が2015年3月18日におきました。
実はこのチェニジアは、2010年から始まったアラブの春の発端となった国。
一体、このアラブの春とは何か?
また、2010年にチェニジアで一体何があったのか?
今回の事件との関係は?
これを何回かにわけて解説してみたいと思います。
アラブの春の概要
「アラブの春」とは、2010年から2011年にかけて中東・アラブ諸国で行われた前例のない大規模反政府デモを中心とした民主化運動のこと言います。
インターネットで情報拡散されたことから、多くのアラブ諸国に広がっていったことが特徴です。
なぜ、「アラブの春」という言い方になったのかと言うと、1968年にチェコスロヴァキアで起きた「プラハの春」と呼ばれる改革にならったからと言われています。
いつ、どこで起きた出来事?
この「アラブの春」の発端は、2010年12月18日にチェニジアで始まったジャスミン革命。
チュニジアは ↓
そして、北アフリカと中東を含むアラブ世界に広がっていきました。
アラブ世界 ↓
(出典:ウィキペディア アラブ世界)
今回はアラブの春の発端となったジャスミン革命について解説していきます。
ジャスミン革命とは?
時代背景(その1) 若者層の失業率の高さ
発端となった当時のチュニジアの経済成長率は3.8%。
2013年の日本の経済成長率が1.52%だっとことを考えると、特段、経済状況が悪いわけではありませんでした。
しかし、当時のチェニジアの失業率は14%(2013年の日本は4.0%)
若者層に限れば30%近いという高い水準でした。
そのため、経済状況は決して悪くなかったのに、若い世代がその恩恵を受けることができていなかったわけです。
そこで、若い世代を中心として、国に対する不満が高まっていたという背景がありました。
時代背景(その2) 当時の一族による利権独占の政権体制への不満
当時は、1987年に無血クーデターによって獲得した政権でした。
しかし、23年間にもおよぶ長期政権の中で、一族で利権を独占するといった政治的な腐敗が進み、民衆の不満がたまっていった状況でした。
きっかけとなった事件
直接のきっかけは、衝撃的な出来事でした。
12月17日、中部の都市スィディ・ブジドで失業中だった26歳の青年が果物や野菜を街路で販売を始めたところ、販売許可がないとして警察が商品を没収し、加えて彼に暴行をしました。
その青年は三度も商品の返還を頼んだにもかかわらず、その代わりに賄賂を要求され、しかも3度も追い返されたのです。
これに抗議するために彼はその日の午前11時30分、ある行動に出ます。
役場前で自分と商品を積んだカートにガソリンをかけて火をつけ、焼身自殺したのです。
その場に駆け付けた従兄弟が、事件直後の現場の様子を携帯電話で撮影し、フェイスブックへ映像を投稿したことから、この青年の焼身自殺が全国に知れわたることになりました。
この事件をきっかけとして、就職できない若者中心に不満が爆発し、高い失業率に抗議するデモが始まりました。
そして、今度は腐敗や人権侵害が指摘される当時のベン・アリー政権に対するデモとなり、国内に急速に発展していったのです。
まとめ
今回は、アラブの春の発端となったジャスミン革命についてなぜそのような事が起きたのかという時代背景と発端となった事件についてまとめてみました。
ウィキペディア等にも詳しく解説されていますが、なかなかわかりにくいので、なるべく読みやすくまとめてみています。
民衆が経済的に厳しい状況に追い込まれている状態を政府がしっかりとした対応をしない場合、何らかのきっかけで民衆の不満が爆発する例を視ることができました。
ただし、このような運動がどのような結果につながるのか、次の記事でもう少し検証してみたいと思います。
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