坂本龍馬の名言から有名なものを見たら、シスコン可能性ありとの仮説が?

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「幕末史の奇跡」と呼ばれた坂本龍馬

大河ドラマでもとりあげられたことから、ここ数年で特に注目を集めたように感じています。

そして、彼の様々な名言は現代にも語り継がれています。

この記事では、そんな坂本龍馬の有名な名言をテーマに、

  • どんな名言があるのか
  • その名言となる言葉を語った背景は
  • なぜ、そのような言葉がのこっているのか
  • それは誰に宛てた言葉だったのか

等を通じて、坂本龍馬自身の様子や時代背景等について調べてみました。

 

そして、もしかしてだけれど・・・

最後にタイトルのとおりかも・・という、余計な推測も!!

それではどうぞ!!

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1.改めて坂本龍馬とは

坂本龍馬を知らない人はいないでしょう。

薩長同盟の斡旋や大政奉還の成立に尽力し、倒幕や明治維新に影響を与えた人物です。

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1836年1月3日に土佐藩(高知県)で生まれています。

高知駅の駅前には龍馬の巨大な像が立てられていますよ。

 

龍馬は兄と3人の姉のいる坂本家の末っ子として生まれています。

坂本家は土佐藩郷士(下級武士)でした。

でも、分家の際に多額の財産を分与されたため、龍馬が生まれた坂本家は非常に裕福な家庭だったそうです。

 

 

今回調べてみて初めて知ったんですけど・・・、

実は幼少期の坂本龍馬は冴えない子供だったようです。

 

どうやら12、3歳頃までお寝小の癖があったとか。

さらには気弱いじめにあうとか。

私達がイメージする坂本龍馬の姿は幼少期には微塵もなかったようです。

 

それと、あまり知られていないと思いますが、諸説あるものの、身長が180cmぐらいだったようです。

大河ドラマでは坂本龍馬を福山雅治さんが演じていたこともあり、そんなイメージはありませんでした。

実際の坂本龍馬はかなり大柄な体格だったようですね。

 

2.坂本龍馬の有名な名言は?

2−1 最も有名な名言

坂本龍馬の名言と言えば、恐らく

「日本を今一度洗濯し候」

が最も有名だと思われます。

 

その他には

「世の人は我を何とも言わば言え我が成す事は我のみぞ知る」

「万事、見にゃわからん。」

「夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る。」

・・・

などなど

 

今回は、最初に紹介した名言についてもう少し見てみましょう。

 

2−2 どんな場面の言葉だったのか?

この「日本を今一度洗濯し候」という言葉は、文久3年(1863年)6月29日に坂本龍馬のすぐ上の姉の乙女に宛てた手紙に書かれた言葉です。

 

1863年に下関戦争という事件がおきました。

その5月に長州藩が馬関海峡(下関海峡)を封鎖し、航行中の米仏蘭艦船に対して無通告で砲撃を加えたのです。

 

その約半月後の6月には、報復として米仏軍艦が馬関海峡内に停泊中の長州軍艦を砲撃し、長州海軍に壊滅的打撃を与えたのです。

 

坂本龍馬の手紙によると、

「あきれ果てたことに」幕府が被害を受けた米仏の軍艦を修理をし、

それをまた長州に送って戦わせた!

ということでした。

 

この幕府の対応に対してひどく怒っていたようです。

 

この「日本を今一度洗濯し候」は、そんな幕府を倒して、

日本を洗い清めてしまいたい=洗濯してやりたい!

という思いを綴ったものなんですね。

 

3.手紙の宛先の姉の乙女とはどんな人物だったのか?

3−1 龍馬の母親代わりであり大切な相談相手だった

ところで、坂本龍馬が度々手紙を送っていたすぐ上の姉である乙女とはどんな人物だったのでしょう?

 

坂本家の3女で、本来の名前は留(とめ)と言います。

薙刀(なぎなた)がうまく、

剣術・馬術・弓、水泳等の武芸とともに、

琴・三味線・舞踊・和歌等にもたけており、

文武両道だった様子。

 

幼少のころ、いじめられっ子だった龍馬に、武芸や学問を龍馬に教えたのが姉の乙女のようです。

 

びっくりなのは、身長が174cm、体重112kg相当大柄な女性だったようです。

 

坂本龍馬もかなり身長が高かったようですから、坂本家自身が大柄な家系だったのかもしれません。

 

乙女が14歳、龍馬が12歳の時に母幸が亡くなりました。

乙女は12歳だった龍馬の母親代わりとなったわけです。

 

その後、乙女は24歳で結婚したのですが、35歳で離婚しています。

その後は龍馬の相談相手になったり、励ましたりしたということです。

 

3−2 残っている手紙の宛先の多くは姉だった

恐らく乙女と龍馬はこういう関係だったので、坂本龍馬は常日頃から乙女に最近の様子や自分の思いを書き連ねていたのでしょうね。

 

ということで、姉の乙女は坂本龍馬にとっては非常に大切な存在だったようです。

坂本龍馬が書いた手紙は、130通以上が残っているようです。

その多くが姉の乙女宛てだったとか。

 

妻のお龍も同行した日本初の新婚旅行中にも、姉宛の手紙を書いています・・。

 

宛てた手紙の数といい、妻との新婚旅行中にも手紙を書き送っている・・・、

ある意味、姉に対しては度が過ぎているような感じもあり、

なんとなく坂本龍馬はシスコンだったかも・・・

と余計なことを考えておりました。

 

まとめ

坂本龍馬の有名な名言である

「日本を今一度洗濯し候」を見てみることで、

当時の様子や坂本龍馬の人となりについて伺い知ることができ、

今回調べてみたことは良い経験になりました。

 

特に姉の乙女は龍馬にとっては特別な存在だったということがよく分かりました。

しかし、坂本龍馬が姉に対する付き合い方を見るにつれ、現代的な感覚で言うと、どうもシスコンだったような感じはぬぐいされません。

 

ところで、残っている坂本龍馬の手紙は重要文化財となっているようです。

 

私達が、仮にもし・・・、そんなことはほとんど無いとは思いますが、

仮に今後、有名人になった場合、

ブログや手紙、メールに書いた自分の言葉がこういうふうに後世に残ることになるかも・・

余計な心配せずともいいのでしょうけど、

それでも残す文書には気をつけることが必要ということも合わせて思いました。

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