アラブの春をわかりやすくまとめると(その2:各国の様子とその後)

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アラブの春についてわかりやすく解説するために、チュニジアで始まったジャスミン革命について最初に取り上げました。

 アラブの春をわかりやすくまとめると・・(その1:ジャスミン革命)

その後、ジャスミン革命を発端とした民主化運動は、アラブ世界に発展し、さらにはその他のエリアにも飛び火していきました。

今回では、その様子をまとめてみました。

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1.アラブ世界への飛び火

チュニジアで発生したジャスミン革命を発端として、アラブ世界には以下のようなデモ・民主化運動が起こりました。

Arab_world

ヨルダン ⇒ 反政府運動

当時のサミール・リファーイー内閣が2011年2月1日に総辞職

エジプト ⇒ 2011年エジプト革命

2011年1月25日から大規模な反政府抗議運動開始

⇒ 30年以上のホスニー・ムバーラク大統領下による長期政権が崩壊

バーレーン ⇒ 2011年バーレン騒乱

首都マナーマの真珠広場で行われた中規模反政府集会を政府動員の治安部隊が強制排除し、死者が出る事態となっている

リビア ⇒ 2011年リビア内戦

2月17日にカダフィ大佐による独裁体制の退陣を要求するデモ発生

42年間に及ぶカダフィ政権が崩壊した。

シリア ⇒ シリア内戦

アサド政権側の政府軍と反体制組織等による事実上の内戦状態に突入しており、  死者数が数万人に及ぶなど泥沼化している。

イエメン ⇒ 2011年イエメン騒乱

北イエメン時代から約33年間に渡り政権を維持してきたサーレハが大統領権限を委譲し辞職。

シリア ⇒ シリア騒乱

2011年4月15日に大規模な民主化要求運動が発生。

2000年から続いているアサド政権が力で押さえつけました。

しかし、反体制派が武器をとった内戦へと発展し、死者は13万人を超えます。

その後、アルカイダやイスラム国が反政府運動に関与。

イスラム国の活動はアラブ地域において深刻な事態となっています。

アルジェリア ⇒ 2010年-2011年アルジェリア騒乱

民主的改革の一環として、 大統領が国の憲法改正を求めることが4月15日に発表。

その他、小規模なデモが発生したものの、 デモ活動が制圧された国も多数あります。

2.アラブ世界以外への飛び火

中国では中国ジャスミン革命という動きがありました。

インターネットを使って、現在の独裁体制から民主化を目的としたデモが呼びかけられ、2011年2月20日に13の都市で大人数が集まりました。  

しかし、中国政府はインターネットの監視や外出禁止令等を強化することで、運動は下火になりました。        

その他、 アメリカ ロシア スペイン クロアチア等 でも関連する活動が行われました。      

3.民主化は進んだのか?

このアラブの春により、 当時の政権が倒れ、 民主化が進んでいるように見えます。  

しかし、エジプトの様子を見ると 新しいムルシ大統領に反対するデモが起こり、軍が支援するクーデータへと発展しました。        

また、シリアでは 内戦状態のところにアルカイダ系の勢力が入り込み、さらに武装集団イスラム国の影響が高まっています。      

特にイスラム国は国際的なテロ活動を展開しており、世界の脅威になっています。        

このようにアラブの春は、 一部の地域では終息しているものの一部の地域では新たな紛争・内戦、テロ活動へと発展してしまっています。  

まとめ

アラブの春はアラブ世界を始めとして、多くの国に民主化を進める運動として各地に影響を与えました。      

当時の腐敗した政権を倒すきっかけになりました。      

しかし、特にシリアではアラブの春をきっかけとした反政府活動が、国際的な問題にまで発展しています。      

個人が発信した情報が瞬時に世界の隅々までいきわたってしまうインターネットが普及した現代は、よくも悪くも個人を発端として社会を動かす力が強まったと言えます。      

そのため、政権運営者は利権に走らず、民衆の幸せを考えた対策を取っていくことが重要!ということが、このアラブの春から改めて認識することができます。        

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