古事記とは日本最古の歴史書のことです。
そのぐらい知ってるよっている方は多いと思いますが、
それ以外でどんなことを知っていますか?
例えば、誰がいつ書いたものなのか??とか。
意外と知らないものですよね。
そこで、今回は改めて古事記とは一体何か理解できるよう、皆さんが気になることだけをちょっと整理してみました。
1.古事記は誰が書いたの?
古事記は712年に太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)または太安万呂(おおのやすまろ)が元明天皇に献上されたと言われています。
711年11月3日に元明天皇が稗田阿礼(ひえだ の あれ)の暗誦を、学者の太安万呂に書き取らせ、史書を編纂するように指示を与えられました。
この稗田阿礼ですが、 「古事記の編纂者の一人」ということ以外はほとんどわかっていません。
28歳のとき、記憶力の良さを見込まれて歴代の天皇あるいは皇室の系譜類をまとめた「帝紀(ていき)」と各氏族伝来の歴史書だと考えられている「旧辞(きゅうじ)」等の誦習を命ぜられたと言われています。
言葉が難しいですが、「誦習」とは「繰り返し読むこと」です。
どうも、暗記させたようですね。
実は在位が673年から686年の天武天皇の時に編集がどうも始まっていたようです。
しかし、天武天皇が亡くなったため、その編集作業は一時中断していたようです。
それが、元明天皇によって再開したという流れのようです。
2.古事記はいつ時代の話?
さて、この古事記はいつの時代の話なんでしょうか?
いつからいつまでの期間の話が書かれているんでしょうか?
神々の話が出てくるので、ずいぶん前の話っていうことはわかりますが、それじゃ話の終わりはいつごろか気になりますよね。
古事記は上巻、中巻、下巻の3巻構成になっています。
各巻でそれぞれ時期が異なっていますので、それぞれの巻が扱っている話の年代を見てみましょう。
まず上巻は天地の初めから。
そうなってくると、神話の世界の部分が入ってきます。
中巻は日本の初代天皇である神武天皇の話から。
この神武天皇は紀元前660年(神武天皇元年)と言われています。
ここぐらいからきちんとした歴書書という感じになってきますね。
そして下巻は仁徳天皇から始まります。
仁徳天皇は第16第天皇で313年とされる仁徳天皇元年に在位しました。
この後、第33代の推古天皇までが記録されています。
推古天皇は554年生まれ、628年に亡くなったとされています。
ということで、古事記がいつからいつの話かと言えば・・
始めは天地の初めから、
終わりは紀元後約600年ぐらいまでの話ということになりそうです。
3.古事記の原本の行方は?
この古事記は江戸期に真福寺から発見されました。
ただし、その古事記は原本ではなく、賢瑜という僧によって写本されたものでした。
この写本が真福寺本と言われる最も古い古事記の写本で、国宝になっています。
下の写真がその写本です。
※http://ja.wikipedia.org/wiki/古事記
ということで、どうやら古事記の原本は存在していないそうです。
記紀は和紙に書かれていました。
でも洋紙の寿命は50年、和紙でも400年くらいしか持たない。
なので以後、各地の寺で書き直されて今に残されたものです。
この古事記ですが、どうも最初から紙に書かれていたようです。
しかし、その紙もずーっと残るわけではないため、
あちこちで写本されたものが残ってきたようですね。
まとめ:ということで古事記とは
以上のように古事記とは・・・を簡潔にまとめてみますと、
日本の神話から初期の歴史について書かれてある歴史書です。
先につくられていた幾つかの資料を編集したもの。
実はもう一つ、同じような歴史書である「日本書紀」がありますが、
こちらについてはまた別の記事にしたいと思います!!
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